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装具とは、身体の機能が低下したり、失われたりした際に、その機能を補ったり、サポートするために装着するものです。装具には主に、上肢装具、下肢装具、体幹装具等があります。装具は自立歩行が出来ない方にはとても大切な身体の一部です。
装具を着ける事で私生活においての支障も沢山あります。
具体的には、
・義足で生活されている方は、一般の靴屋さんで自分の好みの靴や色を選べます。でも、装具を着けた状態では市販で売っている靴では装具に着いているベルトの厚みで靴の指先に挿入出来ない。また、運良く履けたとしてもベルト(ヒモ)が結べない。
・靴の底に装具の底が収まらず靴の中で装具(足)が浮いた状態での歩行になってしまい、歩く度に靴の中で装具(足)が前後左右に動いて途中で靴が脱げてしまい歩行姿勢が安定しない
・片方の足だけ装具を着けている場合は健足(健康な足)のサイズに比べ、3cm位大きいサイズを選ばないと装具を着けた状態で履くことが難しいため、サイズによって同じデザインで3cm大きいサイズがあればラッキーで、片足だけ装具のか方には殆んど市販で左右同じデザインでお求めに頂くことは難しい状況である。
・当時は装具を作る際に親子で靴の色やデザインを選択する事も叶わず院内の周りを見て、多くのお子さんが履いている靴[黒色の3本ベルトで大人でも重たいと感じる靴]を見て納得せざるを得ない状況であった。
など。
2000年頃までは小さいお子さまで身体に障がいがあって足に装具を着けて生活をされていた当時の親御さん方は、子供に自分より大きくて重たい靴を履かせて、お子さんの身体への負担やお子さんの体型に比較して靴だけが異常に大きく見えて、(アンパンマンの靴)を履かせている様で観るのが辛いと大変心を痛めていたことを記憶しております。
実は、サスウォークシューズを作るきっかけは、当時2歳児の二分脊髄症のお子様との出会いでスタートしました。
私は装具の専門業者とか義肢装具士でもございません。靴の企画、製作、販売を行なっている靴屋です。
1990年頃、私はフランスの某有名ブランドの企画の仕事を手掛けていました。長男が誕生してそろそろ歩く年頃になり、百貨店へ子どものシューズを買いに行き(当事はベビーシューズを買うのは百貨店が主でした)、国内外の有名ブランドのベビーシューズを見て驚きました。歩くための必要な機能はなくて、ただ可愛らしさだけが先行した靴が多く「これは靴なの?」と思い落胆したのを鮮明に覚えています。
そんな思いをしていたその頃です。知人から自分達でベビーシューズを造らないかというお誘いがあり、自分たちでオリジナルブランドシューズ造りがスタートしました。
知人との食事中幼児の靴の話しの中で、知人がデパートで幼児の靴を見ていたら、お客さん(孫に買うため)と定員との会話が聞こえてきて、とても高価な靴だったのか?[赤ちゃんの足は直ぐに大きくなっちゃうから、高価な物を買っても直ぐに履けなくなっちゃう]との会話を聞いて、サイズが伸ばせる靴があると良いよね。と、夢のような話が弾みダメ元でも挑戦してみようとスタートしました。
試行錯誤している途中に知人も病で倒れる中、1992年に1cmサイズが伸ばせる靴の生産を開始。
当時、生産していただくために韓国や中国等の工場回りも大変でしたが、知人の紹介もあり、自社ブランドで子供靴だけ作っている上海の工場を知りました。上海へ出張の度に社長とお話を重ねるうちに自社ブランド以外で私が考案するベビーシューズの生産を受けて頂ける事になり、初めてのオリジナルブランドの生産がスタートしました。
ベビーシューズの場合は衣料品として取り扱いが主で、メーカーから卸問屋を通して小売店で販売するのが主な流通経路でしたが、私は、企画・開発、生産管理等に軸足を置き仕事をしているので営業力に乏しく、思い通りに事が進まないと直ぐ諦めてしまう短気な性格でしたので卸問屋から小売店を経由して支払うマージンを加えると、当初想像していたユーザー価格よりはるかに高くなってしまう事が分かり、問屋さん経由は直ぐに断念しちゃいました。
そこで、敢えて直接の小売店(百貨店)で売って頂こうと交渉しても中々思うように進みませんでしたが、渋谷の東急百貨店さんが面白い機能だから取り扱っても良いよと返事を頂き念願の百貨店で発売することになりました。
靴はなかなか思うようには売れませんでしたが、ある日お客様より「サイズは丁度いい感じですが、もう少しだけ履き口を広くすれば履けるようなので、履き口を大きくしてもらうことは出来ませんか?」とご相談のお電話をいただきました。話によるとお子さんは2歳との事。私の次男と一緒の年で、設計~販売する間は次男にモニターになって貰い自信を持っていた商品だけに履けない子供がいるとは信じられなかったため、居ても立っても居られず、お客様宅へ伺わせていただきました。玄関のベルを鳴らし、元気よく扉を開けてくれたお子さんの脚を見て驚愕。その足には装具がついていたのです。
そのお子さんは二分脊髄症という病名で、自力歩行ができず、装具を着けての生活が必要でした。しかし、装具の上から履く靴はまだ無く、探していたところ、百貨店で当社の靴を見つけていただき、この靴なら履ける(ある特殊な機能がある為、靴の横が開く)のではないかと思い試着もせずに購入されたとのことでした。
親御さんの気持ちは十分理解出来るものの、装具を着けて履くのは無理がありました。しかし、とは言え、元気に部屋を走りまわる2歳時の子供(ましてや私の次男と同い年)を見て、自分の子供が装具を着けていたら同じように無理だと言って断るのか?靴屋の親父として許せるのか、自問自答の答えが出る前に「お子さんの靴、私が作ります」と口走っていました。
装具のためのカバーシューズを作るために病院や施設などに出向き、義肢装具士さんに装具の業界事情を伺ったところ、装具を作ってもその上から履く靴が無いため、義肢装具士さんが装具を着けて履くカバーシューズを作っているとのこと。試しに見せてもらうと、黒の皮素材で作った重たいカバーシューズで、小さい子供にはとても不釣り合いな靴でした。
これを見た時に、障がいがあるお子さんでもみんなと同じ様に外に出て思いっきり走ったり歩いたりしてほしいという願いが根本にあり、この靴を作りたいとの思いから、特に気をつけたことは軽量と今風のデザインを心がけて製作がスタートしました。
当時、取引のあった韓国の靴メーカーに赴き、靴で一番大切で必要な木型(ラスト)を作るためラストメーカーに依頼したところ、幼児のサイズ(足長)に比べ、足幅と足囲があまりの大きさに驚いていました(笑)
当時は、装具を着けて生活をしているお子さんに履かせる靴等は一般的靴業界では 全く知られていなかったと思います。
当時から既にバリヤフリーやユニバーサルデザインという言葉が使われていましたが、装具業界には実際にはまだ浸透されておらず、その証拠に川崎市の二分脊髄の親の会では、装具は作っても外出の際に履く靴が無くて困るという意見が殆どでした。
また参加者の親御さんに靴で何を望みますか?と問いかけたところ、ほとんどの方が「子供と一緒に一般の靴店へ出向き、一緒に靴を選びたい。」が多くありました。
さらに、ドクターや理学療法士、義肢装具士さんからは、装具を着けなくても足首を矯正するためのハイカットシューズの必要性をお聞きして、サスウォークシューズの企画、製作がスタートしました。